C9「《キャンプ》についてのノート」

この世には名づけられていないものがたくさんある。そしてまた、名づけられてはいても説明されたことのないものがたくさんある。そのひとつの例が、その道のひとびとのあいだでは《キャンプ》という名で通用している感覚である。(…)

たいていのひとびとは、感覚とか趣味とかいうものは純粋に主観的な好き嫌いの領域のことだと考えている。つまり、理性の支配を受けない、主として五感に関わる不可思議な魅力の領域だというのである。こう考えるひとびとも、趣味についての考慮が、他人や芸術作品に対する自分の反応を決めるうえで一役買うことは認めている。だがこういう態度は単純すぎる。(…)

趣味には体系も具体的な裏づけになるものもない。しかし、趣味の論理とでも言えるものならばある。すなわち、ある趣味の根底にあってそれを支えている終始一貫した感覚である。感覚は、まったくというのではないが、まずほとんど口に出しては言えない。体系の鋳型にはめこんだり、乱暴に裏づけたりできるような趣味は、もはや決して趣味ではない。それは硬化して観念になってしまっている…。

 

スーザン・ソンタグ(1933-2004)が、1966年のアメリカにおいて、自身の評論を集めて出版した『反解釈』は、18世紀以降「一般市民」が誕生したにも関わらず、依然としてその「私たち」の生活から隔絶された芸術・アート、また、その評価や鑑賞の方法を「解釈する習癖」として断罪し、それ以降の芸術の在り方に深い衝撃を与えた。

『《キャンプ》についてのノート』(1964)は、「反解釈」としての私たちの趣味・趣向(敢えて言葉にされていなかった価値)を改めて認識するための審美方法である。

別添の24の注意書きに従い、作者自身(あるいは特定の何者か)の、趣味・趣向に関する2017年現在における「《キャンプ》についてのノート」を表現しなさい。

 

提出物:(原則として)「ドローイング275×275mm」

枚数:表紙+2枚以上(またはそれに準ずる分量)

材料:表現する方法に準拠した材料を選択すること。

出題:早田

 

別添資料

  1. キャンプとは一種の審美主義である。それは世界を芸術現象として見るひとつのやり方である。キャンプ的であることは、キャンプ的でしかないことではない。
  2. キャンプとは、ものや人々の行動に見出される特質のことでもある。それ自体《キャンプ》的な映画や服装や家具やポピュラー・ソングや小説や人間や建物などがある。すべてが、見るひとの目によって決まるわけではない。
  3. キャンプ芸術とはしばしば装飾的芸術のことであって、内容を犠牲にして、見た目の肌合いや感覚に訴える表面やスタイルなどを強調するものである。(但し、それ自体が内容を持たないものは、キャンプ的であることは滅多にない。)
  4. ティン・パン・アリーやリヴァプールの生んだ音楽はキャンプだが、ジャズは違う。
  5. キャンプ的なものやひとは、必ず人工という要素を含んでいる。純粋に自然界のものは決してキャンプ的ではありえない。そしてキャンプ的なものはたいていは都会的である。
  6. キャンプとは、誇張されたもの、《外れた》もの、ありのままでないものを好む。
  7. キャンプはあらゆるものをカッコ付きで見る。ものやひとのなかにキャンプを見てとることは、役割を演ずることとして存在を理解することである。
  8. 現代のキャンプ趣味は、自然を消し去るか、それに正面から反対するかである。そして、キャンプ趣味が過去に対してもっている関係は、極度に感傷的なものだ。
  9. キャンプ的感覚とは、ある種のものが二重の意味に解釈できるとき、その二重の意味に対して敏感な感覚のことである。あるものがもっている「まとも」で公的な意味の背後に、そのものがもたらす私的でふざけた体験を、われわれは見出している。
  10. 純粋なキャンプは必ず素朴である。自らがキャンプであることを知っているキャンプ(〈キャンプごっこ〉)は、普通は純粋なキャンプほど面白くない。
  11. もう少しゆるやかに考えると、キャンプは、完全に素朴であるか、完全に意識的であるか(つまり、わざとキャンプ的に振る舞う場合)どちらかだ。
  12. あるものがキャンプにならずに、ただの愚作にとどまっているとすれば、それは多くの場合その作品が意図においてあまりに陳腐だからである。作者は本当に度外れなことをやろうとはしていないのだ。「ひどすぎる」、「途方もなさすぎる」、「信じられない」などというのが、キャンプ的褒め言葉の決まり文句である。
  13. キャンプがキャンプであることを保証するのは、常軌を逸した精神である。例えば、ガウディの建築には一世代なり一つの文化全体なりによってなしとげられることを行おうとしているひとりの人間の野心的な意図が現れている。
  14. 度外れではあっても、そのやり方が首尾一貫していなかったり情熱的でなかったりするものは、キャンプではない。同様に、抑えきれない、事実上抑制のきかない感受性から湧き出ているように感じられないものも、キャンプにはなりえない。
  15. キャンプとは何か異常なことをしようとする試みのことである。ただ、異常なといっても、特別な、魅力的なという意味においてであることが多い。
  16. キャンプ趣味が珍重するものは、古くなったり質が悪くなったりする過程を通じて、必要な距離が生まれたり、必要な共感が呼びさまされたりしたものが多い。ものは古くなったときにキャンプ的になるのではなく、われわれとそのものとのつながりが弱くなり、そこで試みられていることが失敗しているのにわれわれが腹を立てず、むしろそれを楽しむようになったときに、キャンプ的になるのである。
  17. キャンプ趣味は、良いか悪いかを軸とした通常の審美的判断に背を向ける。キャンプがやるのは、芸術、そして人生に対して、別の、補助的な、判断基準を提供することである。
  18. 重要な創造的感覚の第三の例がキャンプなのである。キャンプは、伝統的な真面目さがもたらす調和と、極限状態の感情に完全に共感してしまうことの危険の両方を、拒絶する。
  19. 「誠実さ」だけでは充分でないことに気づいたとき、人はキャンプにひかれる。誠実さは、要するに無教養ないし知的偏狭さにすぎないかもしれない。
  20. 単純な真面目さを超える伝統的な手段 – アイロニー、風刺 – は、今日では弱いものに感じられる。それは、現代人の感覚を鍛える文化的に栄養過多になった媒体にはふさわしくない。キャンプは新しい基準を提示する、つまり、理想としての人工、芝居がかりである。
  21. キャンプは現代のダンディイズムである。大衆文化の時代において、いかにしてダンディとなるかという問いに対する答えが、キャンプなのだ。
  22. キャンプ – 大衆文化時代のダンディイズム – は、珍しいものと大量生産で作られたものとを区別しない。キャンプ趣味は、複製に対する嫌悪感を超越する。
  23. キャンプの経験は、高尚な文化の感覚だけが洗練を独占しているわけではないという大発見に基礎をおいている。良い趣味(高尚で真面目な快楽)だけを追求する人は、自らに高値をつけすぎて市場から姿を消してしまうことになるだろう。良い趣味を持った人は以前は欲求不満に陥る危険を冒したのだったが、キャンプ趣味のおかげで快活になる。それは消化にいいのだ。
  24. キャンプ趣味は、何よりも、享楽ないし享受の仕方であって、判断の仕方ではない。キャンプ趣味は、真面目になることは悪趣味だと主張したりしないし、真摯に劇的になることに成功した人がいても冷笑したりはしない。キャンプ趣味とは、一種の愛情 – 人間性に対する愛情 – である。この感覚を身につけている人は、《キャンプ》というレッテルを貼ったものを笑っているのではなく、それを楽しんでいるのである。

 

A +++ 1x16a148 宮島雛衣

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「Biblio」と題された、図書空間を点描で描いた非常に美しい作品。途方も無い作業の末に描出された「点描で描かれた図書館」はその枠組みを超えて純粋な感動さえも与えてくれる。あらゆる障壁を超えて巡りついた境地を賞賛したい。(早田)

 

A +++ 1x16a125 原田 佳典

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スモーク(smoke) から始まり、スチーム(steam) が風景として表れてくる。最後はスチームなのかスモークなのか、二つの対比する現象が一つになったような風景がある物語によって流れていく美しい作品である。(植村)

 

A +++ 1x16a043 加藤公花

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スケッチブックに描かれた日常。中で見つけた様々な気づきはとても美しく、収集されていくところに引き込まれていく良さがある。スケッチブックを埋めてくれると、スケッチという枠を飛び出せたのでは? (小林)

 

A +++ 1x16a002 秋山曜

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人のイラストスケッチのプロセスを淡々と並置する。物憂げな瞳とは対照的に、あくまでドライに種明かしをしていくその姿勢がCAMP 的なるものなのか…。(三浦)

 

A ++ 1x16a081 鈴木新

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布を使った作品は鈴木くんの得意技ではあるが、衣服を作るときの勢いや愛情はコンセプトやストーリーを超えて、創作そのものへの思い入れを深く感じる。こういった素人ならではの” 純粋なものづくり愛” こそがCAMP 的と言えるのではないだろうか。(三浦)

 

A ++ 1x16a069 篠原岳

41

「weathering-or not?」と題されたスノーマット紙に赤と金のレンガを表現した作品。様々な材料を駆使して、えも言われぬレンガのテクスチャーを描き出している。いや、もはやレンガですらない。作者の手垢の集積がそのまま定着してしまったかの様に、” テカテカ” と” ヌメヌメ” している。目的を忘れ常軌を脱してしまったのであろう。素晴らしい。(早田)

 

A ++ 1x16a103 中尾直暉

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「淀みの奥」大理石の肌理は模様か装飾か。淀みというモノが提示する奥行きは、空間の深奥へと導いていく。(テクスチャの表現として) ずっと眺めていると、木であることも忘れて、鉄サビや石材に見えてくるところが、その奥にあるものということであろう。発想と努力が重なった良質な作品である。(山村)

 

A ++ 1x16a054 吉川伊織

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さまざまな手法で木が彫られ、それが版画として転写されている。木を彫るステップは今までも見てきたが、そこから転写したことが、次のステップか。版画にするのであれば、ただ一枚の紙に写すのではなく、その部分にも情熱を注いで欲しかった。(和田)

 

A ++ 1x16a061 小浜まほろ

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どこを見ながら彼女は何を思っているのだろう。キャンパスに描かれてない余白や荒くペイントされている表現があることにより、見るもののイマジネーションが膨らむ。ドローイングとして見える以上の世界がそこには広がっている。(植村)

 

A ++ 1x16a165 山本 拓海

23

クサビガタ文字。内容は理解できないが、制作者がやろうとした意図は理解できる。意味不明な文字らしきを「読解できる」という先入観が邪魔をして、解読できないことにイライラを募らせるが、理解しなくていいことを受け入れると、制作者の異常なまでの熱量に感銘を受ける。インキュナブラの課題にも応えている作品である。(山村)

 

A ++ 1x16a100 東野友紀

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一筆描きまで描かれた干支を巻物にした作品。自分でも無意識な状態でただひたすら手が動き続ける。そんな中にキャンプへと繋がるヒントがある気がするが、これはまだその次元に至っていないと思う。(小林)

 

A ++  1x16a123 林里菜子

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文字を型として、篆書から楷書までの流れを書いてはいるが、その形を超える作者の文字の書き方は力強さがあり、ある意味キャンプなのかもしれない。(植村)

 

A ++ 1x16a59 小田切寛樹

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「自分星人」と題された、言葉の絵本。美しい言葉と美しいドローイングが適切に配された作品。日本語によるマラルメへの挑戦。いや、より優しくてあたたかい。これは「物語」の新しい視覚的形式になり得るかもしれない。(早田)

 

A ++ 1x16a096 月森十色

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マンガ的アプローチ

都市の階段に二人の少年が腰掛けている。放課後に二人で商店街まで遊びに来たのだろうか。遠くにそびえる高層ビル群を眺めながら語り合う二人の少年。一人は涙を流している。日常の風景の中に描かれたこの作品は、時間の一瞬一瞬のアウラを繋げてくれる作品である。(山村)

 

A ++ 1x16a071 嶋田由樹菜

81

” サイハテ” を描いたマンガ。描写やコマ割り、色彩などどれをとってもレベルが高い。故にプロのレベルかというと物語の力としては弱いようにも思う。こういう頼りないもろいバランスが”CAMP的なるもの” なんでしょうか…。( 三浦)

 

A ++ 1x16a159 山川冴子

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「切り絵」の作品。良く出来ていて、特に細いところなどは、狂気的たる域に近付いている気もするが、まだ全体的な物語りのつじつま合わせから脱せずにいるのが残念。(小林)

 

A ++ 1x16a166 吉岡桜子

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きもちわるいね?表には花の絵、裏には色彩があるが、色彩が剥がれ落ちた世界と形がなくなった色彩だけの世界の対比なのだろうか。(鈴木)

 

A ++ 1x16a131 弘部 佳奈子

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何種類もの花びらが平面に敷きつめられた作品。「memories」のタイトルからそれらの一つ一つが自分の記憶と連動しているのか。あえて色をなくし線のみの表現である所に、次元を一つ落としながらも、豊かな世界を描いている。ただ見慣れたアウトプットになってしまっているところが惜しい。(和田)

 

A ++ 1x16a006 荒川怜音名

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「junk」と題されたフリーフォームの線描によって描かれた「何か」の形象。魚や植物の生物の様でも好物のようでもある。美しいオートクチュールは人の心を豊かにする。(早田)

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